世界中の花束を君へ

好きな人のことを綴るだけのブログ

嵐の活動休止で私が思うこと

 

嵐が嵐でいるのを休むとき、五人それぞれの一つのアイデンティティが失われる。二十年以上一緒に過ごしたメンバーだからこその関係性や、そこでしか見ることのできない素顔を見れる機会が失われてしまう。それは私の中で一度死んでしまったも同然である。もしまたいつか復活する日がきたとしても、それはまた新たなスタートであり今までとは違ったものになるだろう。もちろん今まで築き上げてきたものがゼロになってしまうわけではないけれど、どこかがきっと変わってしまう。それが悲しくて、寂しくて、辛い。

 

 

 

 

時系列での事実と心境

 

すばるくんが脱退したときに、亮ちゃんが「永遠はないってわかりました」って言っていた。私もそこで嫌という程思い知ったはずだった。でも違ったんだなあ。嵐はずっとあるって、なくならないって心のどこかで思っていた。だから最初にそのニュースを知ったときは悲しさよりも驚きがきた。ツイッターでも戸惑いや驚きばかりが並んでいた。

 

速度制限で動画が見れない私は、ひとまずコメントを読んだ。大野くんが四人に言ったと書いてあって、どこかで納得している私がいた。大野くんはたくさんの才能があって、どこか掴めなくて、自由が似合う人だと思っていたからかな。他の四人のメッセージからも、誰よりも大きな嵐への愛と、ファンのことを気遣ってくれていることが分かった。五人の嵐を想ったからこその決断で、四人で続ける選択をしなかったことにとても嵐らしさを感じた。

 

記者会見もテレビで見ることは不可能だったので、ネット上に上がってくる記事や多くのツイートを見ていた。終始和やかで笑顔もあって、活動休止の記者会見だなんて思えない雰囲気だった。でもその中で無責任ではないか?という質問が出たときの、翔くんの毅然とした表情や言葉がとても刺さった。またニノの、リーダーが悪く見えるなら我々の力不足ですというコメントには素直にすごいなと思った。誰にもリーダーを傷つけさせない、もしもリーダーを悪く言うのなら嵐が相手になる、そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。私も、もし大野くんがそんなことを言わなかったら・・と思わなかったわけではないけれど、その言葉を前にして、大野くん一人を責めることはできないし、時間をかけて受け入れるしかないと思わされた。自担(ニノ)が必死で守ろうとしているものを傷つけられるほど、私は強くなかった。またみんなが五人で出した結論だ、全員が納得していると言っていたので、それがメンバー五人が出した最良の選択だと思わざるを得なかった。

 

次の日である月曜日は、なんの気力も起きなくて、ただ起きて、ご飯を食べて、ボーッとして、ツイッターを眺めて、たまに泣いて、を繰り返しただけで一日中が終わった。けれどZEROの放送で翔くんが復活はありますと力強く言ってくれたので救われた。僅かでも希望が見えた気がする。

 

 

 

私に今できることは、少しずつでも嵐の決断を受け入れ、残された約二年を大切にしながら応援していくことだ。そしていつの日かまた五人が同じ方向を向くのを心待ちにすることだけだ。